迷参謀アルマジロの日々是修行日記
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「衆議院議員選挙」
  皆さんご存じの通り、昨日の衆議院議員選挙では民主党が300超の議席を獲得し、歴史的な大勝となりました。ここまで極端な結果になると、将来への期待というよりも、これから何が起こるのだろうという一抹の不安さえ感じてしまいます。
  
  巷では今回の選挙は「政策選挙」と言われてきましたが、実体は自民党あるいは麻生政権に対する「不信任選挙」だったのではないでしょうか。何れにしても選挙の結果は出てしまったのですから、民主党を中心とする次期政権では、短期的視野の「人気取り」政策に終始することなく、これまでの政治では欠けていたところの、「この国をどのような国にしたいのだ」といったビジョンをしっかり構築して、様々な政策に対する議論を是非重ねていってもらいたいものだと思います。

  また、これまでの官僚主導の政治を脱却し、国会主導の本来の民主主義をを実現するのだということが叫ばれていました。しかし、複雑で高度の専門知識を要する現代社会においては、専門家集団である官僚を無視して政策を立案・遂行していくことは不可能です。国会議員が官僚を支配するというのではなく、国会議員と官僚が一体となって問題の解決を図っていくことが大切であると考えます。

  今回の選挙における民主党を中心とする政権へのシフトが、仮に短期的には妥当な選択でなかったとしても、長期的には、すなわち、将来の日本にとっては有意義なものであったと言えるように頑張って欲しいと、アルマジロは願って止みません。

  
by hayakawa-houmu | 2009-08-31 07:23 | 日々雑感
「判例」(2)
  最高裁判所の判断が「判例」と呼ばれることが多いことは、前回お話しました。ご興味のある方はインターネットの「最高裁判所」のサイトを訪れると、最高裁判所の「判例」を読むことができます。

  「判例」なんて余程ヒマな人でもなければ読もうなんて気は起きないかもしれませんが、「判例」って結構楽しめるのですよ!? 「判例」を読むなら、最高裁判所の大法廷(その他に、第一・第二小法廷があります)の判決です。しかも、反対意見や補足意見がたくさん付いているやつ。大法廷では15人の裁判官で評議が行われますが、意見が割れた場合には、法廷意見を評決によって決定します。そこで、「8対7」などという際どい結果になった場合には、個々の裁判官の意地の張り合いとも思える程、反対意見やら補足意見がたくさん記されます。

  これを読むのが楽しい・・・などと書いていると、アルマジロはかなりのオタクか変わり者・・・なんて思われるかもしれませんが、本当に面白いのです。裁判官の間の議論は、時にいわゆる「子供の喧嘩」の様相を呈します(こんなこと言ったら失礼ですよね、やっぱり)。何よりも重要なのは、 「答えはひとつではない」ということがよく理解できることです。だから、法律論の戦わせ方や、問題解決のための議論の仕方を身に付けるのには非常に役立ちます。(また、当該事件の1審や2審まで遡って、規範部分や事実認定の部分を比較して読んでみると更に面白いです!)

  皆さんも「判例」を読んでみたいなんていう気になりましたか? やっぱり、なりませんよね。 でも、気が向いたら是非読んでみてください。因みに、法科大学院の学生でも、反対意見や補足意見まで読んで「判例」の内容をよく吟味している人は多くはないと思います。「判例」の規範部分や結論を丸暗記して済ます人が多いとすれば、試験にはそれで十分だとしても、残念なことです。

  最後に一言・・・裁判所は、国民の権利や利益を守る機関のはずです。しかし、そのように機能しているのでしょうか? 法律論に終始し国民の権利・利益を守ることがないがしろにされている場合や、国家の利益のみに重きが置かれている場合があるとすれば、とても残念なことです。また、次の日曜日には衆議院議員選挙がありますが、最高裁判所裁判官の国民審査が同時に行われます。公報に掲載された資料で裁判官の適否を判断しろと言われても、一般的には無理ですよね。この辺にも、国民の権利・利益を守るということがないがしろにされている雰囲気が漂っていると感じるのは、アルマジロだけでしょうか・・・
by hayakawa-houmu | 2009-08-28 06:56 | 予防・戦略法務のこと
「判例」(1)
  皆さんも、 「判例」という言葉を聞いたことがあるかと思います。そして、アルマジロが相談を受けた時によくある質問のひとつに、「この件に関して判例はあるのでしょうか」というものがあります。ところで、「判例」とは一体どのようなものなのでしょうか。

  この問に対して一言で答えるのは、専門家にとってもそう簡単ではないと思います。というのも、「判例」という言葉は、多義的に、つまり、いろいろな意味で用いられているからです。敢えて定義付けるとすれば、「判例とは、特定の裁判において裁判所によって示された判断であって、それは裁判の理由中に示された法律的判断である」ということができます。そして、その「法律的判断」は、別の事件を裁判するときに先例となりうるような一般性をもった判断でなくてはならないとされています。

  正直言って、何を言っているのか理解に苦しむと思います。誤解を覚悟で端的に言えば、判決の理由の中で、「XXXについては、YYYという理由(法の趣旨や実質的理由など)で、特別(特段)の事情がない限り、ZZZと考えるべきである」といった、当該裁判で問題となっているテーマ(XXX)を考えるにあたっての「判断」、つまり、「規範」が示されます。この「規範」に具体的事実を当てはめて結論を出すのですが(法的三段論法)、この「規範」の部分を「判例」と呼ぶことができると思います。(その他にも、判決理由中のどの部分が「判例」で、どの部分が「傍論」かなどというややこしい議論もありますが、ここでは割愛します!)

  また、上述の「判例」の定義からすれば、最高裁判所の判断だけでなく、地方裁判所や高等裁判所の判断であっても裁判所の判断である限り「判例」と呼べることになります。もっとも、同じ「判例」であっても、実務に対する影響力というか、先例としての力は最高裁判所の判例のみが持っていますから、通常、最高裁判所の判断を「判例」と呼ぶことが多いと思います。

  ・・・と、ここまで「判例」を定義してきましたが、重要なのは、 「判例」とは、裁判所の判断における「規範」部分なのであって、この「規範」に当該事件における具体的事実を当てはめて得た「結論」の部分ではない、ということです。よく似た事件であっても具体的事実がすべて同じということはあり得ませんから、同じ「規範」にあてはめても、異なる結論に至ることも不思議ではありません。そこで、「判例はあるのでしょうか」という問に対しては、たとえば、「XXXに関する判例はありますが、具体的事実を当てはめてみないと結論はわかりません」というお返事を差し上げることになります。

  蛇足ながら、実際の裁判における具体的事実とは、証拠及び弁論の全趣旨により裁判所が認定した事実となりますから、たとえば証拠による証明に失敗すれば、その事実(らしきもの?)は無かったものとなります(この部分は、弁護士先生のお仕事です)。そこで、紛争になったときに備えて、裁判所に事実を認定してもらうに足りる内容の契約書等の書面を用意しておくことは必要なのです・・・これも「予防法務」の内容のひとつです!
by hayakawa-houmu | 2009-08-26 06:48 | 予防・戦略法務のこと
「すぐれもの」
  今日はアルマジロお気に入りの「すぐれもの」を2点、ご紹介致します・・・といっても、かなり有名な料理道具なのですが・・・

  1点目は、京都錦市場にある「有次」のアクをすくう小さな網・・・「アク取り」です。これを使うと、面白いように上手に煮物や鍋物のアクをすくうことができます。とにかく、理屈抜きです。形状も、使い勝手がよく、言うことなし。アルマジロが初めて使った時には、本気で感動しました! 全然説明になっていませんが、是非一度使ってみて下さい。(因みに、「有次」は包丁や鍋で有名ですが、日本橋などの高島屋でも購入可能のようです。)

  2点目は、これも超有名ですが、「ル・クールゼ」のホーロー鍋。これを使うと、とにかく上手にミネストローネやトマトソースを作ることができます。セロリやニンジン、タマネギなどの残り物を使っても、簡単に、かつ、美味しくできます。この鍋はやたらと重いことと値段が高いことが難点ですが・・・

  アルマジロには、料理の腕を補ってくれる道具がまだまだ必要です!
by hayakawa-houmu | 2009-08-25 07:00 | 趣味のこと
民法「債権法」の改正
  今朝の新聞によると、世の中の様々な契約に関わるルールを見直すため、法務省は民法の債権に関する規定(民法第3編「債権」、及び第一編「総則」の関連規定)の改正を法制審議会に諮問する方針を固めたようです。いわゆる「債権法」の全面改正は、1886年に制定されて以来初めて のことです。
  
  現在の「民法」は一世紀以上前の経済活動を前提としたものであり、しかも、条文によっては当時のドイツ法やフランス法などの影響を色濃く受けたものです。他方、時代は日々変化し、経済活動のあり方や行い方も変化しますから、それらの変化に対応するために様々な学説が唱えられたり、個々のケースにおける判例の集積や特別法の制定をもって補われてきたのです。言ってみれば、「パッチワーク」みたいなものですね。このやり方の難点は、判例の集積や特別法の制定では気の遠くなるほどの時間が掛かること、その結果解決が後追いになること、そして、何より重要なことは、一般市民が法律の条文だけを読んで理解することは不可能なことです。とはいえ、以前お話したように、契約には強行規定等に触れない限り「契約自由の原則」という大原則が働きますから、実際の影響は限られた範囲のものだったと言えるかもしれません。

  何はともあれ、古い法律が現代にマッチした、新しいものに生まれ変わることには賛成です。できれば、裁判員制度ではないですが、用語もわかりやすくして頂けると、一般市民の皆様にも法律の内容の理解が深まることと思います。この改正案は、平成12年の通常国会に提出することを目指しているとのことです。

  

  
by hayakawa-houmu | 2009-08-23 08:04 | 予防・戦略法務のこと
「撤退する勇気」
  人生や事業を進めていく中で最も難しい決断のひとつに、「撤退」のための決断があります。

  「撤退」するということは、自分が今までやってきた、数々の思い入れがあることに対して自ら幕を引こうというのですから、容易であるはずはありません。 しかし、時間やお金など、際限なく生じる損失に歯止めをかけるためにも、数ある他の機会を維持・活用するためにも、勇気をもって「撤退」の決断を下すべきときが少なからずあります。

  このような場面で重要なことは、まず、自分や自分達が、耐えうる損失やリスクの範囲内にあることを客観的に判断することです。 そして、自分が努力すればできること、努力してもできないことを見極め、自分が進んでいくべき方向を正しく認識しようとすることが大切です。 その際には、先入観念や固定観念を捨てて客観的に判断しなければならないことは、言うまでもないでしょう。

  アルマジロが通っていた法科大学院というところは、一般人の認識からすれば、司法試験に合格するための、そして、法曹になるための機関です。 しかし、法科大学院にも、法律の勉強に向いていない人もいれば、勉強のために長時間集中することに向いていない人、あるいは、法曹という職業に向いていない人など、いろいろな学生がいます。 自分が今進んでいる道に疑問を持った時や思うようにいかなかった時、一度立ち止まって「この道が自分に相応しいのか否か」「この道が最善のものか否か」を客観的に考えてみてほしいのです。 世の中には、絶対的に「正しい」とか「相応しい」などという答えはありません。 すべて、ある与えられた環境下における相対的な評価に過ぎないのです。 言い換えれば、今日、他の選択肢と比較して「より正しい」と思われることも、明日になれば、その相対的な位置は変わってしまうということです。 ですから、法科大学院を中退して、たとえばサラリーマンの道を進むとしても、少しも恥じることなどありません。 世間の人の固定観念に振り回されなければならないわれはないのです。客観的にみて、「今の自分にはこの道がより正しいのだ」という新しい道を見付けたならば、胸を張って突き進めばよいのです。 それが、あなたにとっての「正解」なのです。

  ところで、司法試験という試験は、頭の良し悪しを判定する試験ではありません(この点、困ったことに、誤解している合格者はたくさんいます! もっとも、地頭の強い人達は概して要領も良いので、比較的時間を掛けなくても合格します。)。 むしろ、この試験は、ある予備校の経営者も言っているように、「勉強の到達点」を計る試験なのです。対象となる法律の範囲は膨大ですが、そのすべてを身に付ける必要はなく、その中から試験の要求している内容を抽出して時間を掛けて身に付ければ、誰でも合格できる試験です。 しかし、だからといって、自分の向いていないものに多大な時間とお金を投じることは、人生の無駄だと思います(そして、経費を負担するご両親やご家族は、たまったものではありません!)。

  アルマジロは在学中から同級生に言っていたのですが、「法科大学院=司法試験」という固定観念から脱却し、法科大学院を卒業した、あるいは何年か経験した若者達が、法曹以外のいろいろな世界で活躍して欲しいと願っています。 また、社会も、様々な人々を受け入れる度量を持って欲しいと思います。今回は法科大学院を例としましたが、たとえば医学部の学生なども、「医学部=医者」といった固定観念にとらわれず、 「撤退」する勇気を持って、自分らしく進むべき道を是非探してみてほしいと思います。
by hayakawa-houmu | 2009-08-22 07:44 | 日々雑感
夏休み
誠に勝手ながら、来週(8/17-22)は東京を離れるため、当ブログをお休みさせて頂きます。
by hayakawa-houmu | 2009-08-14 07:05 | その他
「約款」
  皆さんは「約款」という言葉を目にしたことはありますか?

  「約款」とは、元々は契約書に定められている個々の条項をいいますが、一般的には、定型的な内容が定められている契約をいいます。 たとえば、銀行取引約款とか保険約款、あるいは、飛行機やバスなどの旅客運送約款、宅急便などの貨物運送約款などです。

  「約款」においては、ひとりひとりの相手方と個々の条項に合意することが現実的でない場合に、「約款」を相手に手渡したり、どこかの場所に掲げることにより、契約の成立に必要な「意思の合致」があったものとするものです。 たとえば、バスに乗車する場合にお客さんが運転手さんとひとりひとり契約するということになれば、通勤時間帯などには、契約の手続に時間が掛かり、いつまでたってもバスは発車できませんよね。
  
  このように、「約款」により定型的に処理することが必要な場面が存在することは否定できません。 しかし、法理論上、契約の成立には意思の合致を必要とするにも拘らず、実際には意思の合致をみない「約款」において、どのような理由で契約が成立したといえるのか、学者達の間では諸説があるのも事実です。

  ところで、レビューの依頼を受けた契約書のタイトルが、定型的処理をする必要がないにも拘らず「約款」となっていることがたまにあります。 そもそも、「契約書」がどのような内容の契約書かはタイトルのみで決まるものではありません。 タイトルが「XX契約書」であれ「XX覚書」であれ「XX約款」であったしても、そこに実質的な差違はないのです。 しかし、タイトルの付け方次第で印象は変わるものです。たとえば、「覚書」と称する書面があれば、その「覚書」の前提に基本契約書があることを連想させ、「約款」という書面があれば、その内容には交渉の余地はない(たとえば、銀行取引約款などのように)との印象を与えてしまうこともあることは否定できないと思います。
  
  だとすれば、契約書の書面の文言に対しても、当時者双方が、あるいは、レビューをする者が、ある言葉が相手に対して与えるであろう印象に対しても気配りをすることが、紛争を未然に防ぐ、よりよい取引関係を構築するためには必要であると考えます。
by hayakawa-houmu | 2009-08-14 06:30 | 予防・戦略法務のこと
「所有と経営の分離」
  「ウチの会社もそれなりの規模になってきたので、所有と経営を分離した方がよいと言われたのだけど、どうしたらよいか」といった相談を、かつて受けたことがあります。

  たしかに、規模が小さい会社の場合には、「所有者=経営者」で問題はないのですが、規模が大きくなるにつれ、「所有と経営を分離」させることが、当該企業の経営の効率化や一層の発展に寄与することは、理論上、否定はできません。しかし、ある会社において、実際上、「所有と経営の分離」が本当に必要かどうかの判断は、会社の規模だけで判断することはできず、非常に難しいものです。

  よくあるパターンは、同族会社において、株主でもある経営者にとって「うるさい他の株主」、あるいはその一族が会社の一員である場合などに、経営者がそれらの者を経営から排除する目的で「所有と経営の分離」という概念を持ち出す場合です。このような場合において、持株会社を設立したり、種類株式を活用するなどして、形式的には「所有と経営の分離」を実現したとしても、「所有と経営の分離」の効用を十分に享受することはできません。

  「所有と経営の分離」とは、端的にいえば、株式会社の理論にみられるように、「株主は会社のためにお金は出すが、会社の経営は経営手腕に優れた経営陣に任せる、そのかわり配当はしっかりよこせよ」、ということです。したがって、一部の経営陣が同時に株主であったり、株主が株主以外の経営陣に会社の経営を任す気がないとすれば、形式的に「所有と経営の分離」がなされているといったところで、その会社の内情は複雑な様相を呈することになり、実質的には「所有と経営」が分離されていることにはなりません。

  このように、「所有と経営の分離」を行うべきか否か、可能か否か、という点は、個々の会社の規模だけでなく、それらの置かれた状況を精査した上で判断すべきものです。法律的には可能であるとか、友人から勧められたというだけで、形式的に行うものではありません。「戦略的法務」を進める場合においても、その会社の経営理念や経営の現状などを精査した上で戦術を選択することが、よりよい結果を実現するためには必要であると考えています。

  
by hayakawa-houmu | 2009-08-12 07:03 | 予防・戦略法務のこと
「経営理念」
  「経営理念は重要である」という言葉をよく耳にします。皆さんは、身の回りの会社の「経営理念」を強く感じたことはありますか?

  アルマジロは性格が単純なせいか、お付き合いのある会社の「経営理念」に結構感心させられることがあります。もっとも、その会社の「経営理念」は、経営者の方との会話の内容から間接的に感じ取れる場合もありますし、あるいは、経営者の方から「XXXが我が社の経営理念です」と直接的に理解させられる場合や、ひとりひとりの社員の方から直接的・間接的に感じ取れる場合もあります。

  このように、「経営理念」の感じ方は様々ですが、経営者の方々が「この会社は、XXXな会社にしたいのだ」という理念を持つことは至極当然です。そして、 「経営理念」は、その会社の経営を方向づける重要な指針になると共に、顧客の側からすると、その会社を選択する際の重要な要素になってしかるべきです。だとすれば、会社は、具体的かつ明確な「経営理念」を持つべきでしょうし、経営者のみでなくひとりひとりの社員を通じて、直接的・間接的に「経営理念」を顧客に語れるようにするべきなのでしょう。

  巷の経営論的にみればごく当たり前のことを何故このように長々と書いてきたかというと、実は最近、こんな経験がありました。どのような経験かというと、その会社の経営者は実に具体的かつ明確で、アルマジロにとっては惹かれる「経営理念」をお持ちです。しかしながら、一部の社員の方々の応対や契約書の内容は、経営者の示す「経営理念」とは相容れない性格を持つもののように思えたのです。非常にもったいない、というか、残念に感じました。

  経営者の方々の「経営理念」がいくら立派なものであっても、顧客との接点となる社員がこの「経営理念」を具現化する行動をとれなければ何にもなりません。他方、会社の「経営理念」をひとりひとりの社員に理解させ浸透させることは、非常に苦労の多いことも事実です。しかし、この苦労を怠らないことが、「経営理念」を現実化するためには非常に重要なことなのですね。

  当法務事務所においても、顧客に「経営理念」を伝えるための一助となるべく、契約書の作成やレビューの依頼を受けた際には、依頼された会社の「経営理念」等をも反映した契約書、つまり契約書の内容をご理解頂ければその会社の「経営理念」が滲み出てくるような、そんな契約書となることを心掛けております。
by hayakawa-houmu | 2009-08-11 06:29 | 日々雑感



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by ととろ
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