迷参謀アルマジロの日々是修行日記
カテゴリ:日々雑感( 219 )
「ご無沙汰しております」
皆さま、大変ご無沙汰をしております。

何の連絡もせず、3月に入った途端、突然の投稿停止・・・
本当に、失礼致しました。ご心配をお掛けしてしまって、申し訳ありません。

何故投稿停止となったかといえば、病気を患ったわけでもなく、パソコンが壊れたわけでもなく・・・
内容にマンネリ感を抱き、はてさてどうしたものかと悩むか悩まぬかのうちに、怒涛のような仕事の忙しさにかまけ、ひと月半という長きにわたり投稿停止という事態に陥ってしまいました

この間、いろいろなことがございました。EPA関連の外国人看護師候補者は、予想通り、国家試験に合格。しかも、同一病院から2名、京滋で初、ということで大騒ぎ。全国紙の取材は来るは、地元紙には写真入りで掲載されるわ。自分でデザインしたプロジェクトだから、嬉しいと言えば嬉しいけれど、それもこれも本人達が頑張ったおかげなのですがね・・・それにしても、いやはや大変なことになってしまいました。

さらに、他のプロジェクトも、殊の外、素晴らしい結果に終わり、たくさんの引き合いが来ることが予想される始末。

が、しかーし・・・プロジェクトをデザインしたり管理したりはもちろんしますけれど(「影の社長」などと揶揄されるほどに!)、プロジェクトを実際に動かすのはプロジェクトメンバーであり、顧客の頑張りだってプロジェクト成功の重要な要素のひとつなのです。だから、話をきかせてくれ、ウチでもやりたいとおっしゃる方々には、まずはその辺のところを口を酸っぱくして伝えなければならないのです。つまり、プロジェクトを成功させるには、他人任せでは駄目で、関係各位がたいへんな苦労をすることになるのだという認識が必要に思うのです。、

あ、そうそう、2月の終わりには以前にもご紹介した「東京CoCoサイト」という公開市民講座の講師をさせて頂きました。お陰様で結構楽しませて頂きました。そういえば、2月の半ばには、六本木ヒルズの49階でおよそ100名の対し1時間のレクチャーもしてみました。

あとは、英語で行う調停を実現すべくお手伝いがはじまりました。

また、現況報告しますね!
明日からは週末だというのに、朝6時前に家を出て、西日本へ出張してまいります・・・
by hayakawa-houmu | 2012-04-13 21:09 | 日々雑感
「EPA外国人看護師 国家試験合格か!?(2)」
  改めて言うまでもないことだが、プロジェクトとはプロジェクト・マネージャー独りで成り立つものではなく、それに関わるすべてのスタッフの活躍によって成功に導かれるものなのである。いわんや、上記プロジェクトでは、国家試験を受けた本人達が主役であって、彼女達の頑張りがなければプロジェクトの成功などおぼつかないのである。

  そのことの何よりの証拠に、7名の内で本試験成績上位者と下位者を分けたものは、「やる気」であった。従前の投げやりな姿勢から如何にしてやる気スイッチを入れるか、このスイッチを入れた者、早くに入れた者が勝者となったのである。

  とかく恵まれた世界で生きている我々から見れば、生死を分かつほどの気迫の入ったスイッチ。そんな気迫を感じとることができる感性を、我々はきっと忘れてはならないのだ。

  理屈を抜きにしても、この実体験はアルマジロを含め、関わったすべてのスタッフの成長の糧となったと思わざるを得ない。そして、合格する者、しない者、すべてのチャレンジャーにとっても、成長の糧となったと信じたい。

  今回のプロジェクトの成果で最も重要なことは、EPA関連で来日した者達にとって具体的な成功例を作れたことである。特に、合格者の身近で勉学を共にしていた連中にとっては、従前の諦めにも似た心持ちをもう一度チャレンジの方向に修正するための強力なドライブになることと思う。

  身近に具体的な成功例を作ること・・・それこそが今回のプロジェクトにおける我々の隠されたミッションだったのである。
by hayakawa-houmu | 2012-02-29 05:41 | 日々雑感
「EPA外国人看護師 国家試験合格か!?(1)」
  ご存じの方も多いと思うが、「EPA」、「経済協力協定」と称して、日本が経済協力をする代わりに、日本が外国人看護師を受け入れるという、いわゆる「バーター取引」「Dissimilar Exchange」という取引(?)がある。

  こんなことを言えばお叱りを受けるかもしれないが、少なくとも客観的には「人身売買」類似の取引にしか見えない。だが、日本では高齢化社会で看護師は不足する予測であり(日本人看護師を取り巻く環境改善をせずに外国人に期待するのは、論理が幾分ずれているようにも思うが・・・)、海外から来る外国人の多くは日本で働くことに夢を持って来ているという大義名分もあるようである。ところがどっこい、日本で看護師として活躍して頂くには、日本人と同じ国家試験を、もちろん日本語で合格しなければならぬという、このハードルの高さ。

  加えて、多文化社会における援助に不慣れな関係各位に悪気はないものの、結果として大盛りのおせっかいと過保護の反面、意志疎通にはほとんど欠ける環境の中で、孤独に試験合格を諦めて期限まで悶々と生活する外国人の話を聴いたアルマジロ。これでは日本男児の恥と、多文化コミュニケーションの観点から交通整理を試みるプロジェクトを自らデザインし遂行してきた、この10ヶ月(「Project_N」と命名!)。

  定期的に本人インタビューを行ったり様々な試みをする中で、方向性を適宜修正。そして、模擬試験の点数が伸びないことに悩みながら、あるいは、予期せぬ出来事に対応しきれず・・・そんな10ヶ月ではあったが、優秀かつ熱心な4名の国試対策講師陣と2名の日本語講師陣の縦横無尽の活躍のお蔭で、どうやら7名中2名が合格しそうである。

  「合格しそう」といっても自己採点の結果に基づくものであって、来月末の合格発表を待たねばならぬことは言うまでもない。しかしながら、本人達や講師陣の活躍に負うところは非常に大ではあるが、自分で描いたプロジェクトから合格者が初年度に二人も出るとすれば、ささやかな社会貢献ではある。アルマジロの人生の中でも、とても喜ばしいことであると思う次第。

  P.S.

  「合格したらカラオケに行くぞ!」との約束があるので、合格発表がとても楽しみである(笑顔)
by hayakawa-houmu | 2012-02-24 05:42 | 日々雑感
「リーダーシップ」
  「リーダーシップ」

  この言葉も、具体的な内容がよくわからない割には、巷ではよく耳にする言葉である。本屋の自己啓発コーナーに立ち寄れば、「リーダーシップ」に関する本はたくさん並んでいるし、小学生のサッカーチームや野球チームでもコーチや親たちから「リーダーシップ」に関するコメントが聞かれる程である。

  いつぞやのパネル・ディスカッションでも触れたのだが、「リーダーシップ」なるものは「リーダーのあり方」という意味であって、その具体的内容は千差万別、各々の状況に応じたものであって然るべきなのだ。そして、大切なことは、常に誰かの具体的行動の真似をするのではなく、目的・状況・構成員等を考慮した上で、最善の具体的行動を考えなければならぬということである。

  とすれば、「リーダーシップ」をとるための具体的方法は千差万別といっても、ある具体的方法では目的が達成できない、構成員から不協和音が出るなどの状況に陥ったとすれば、それはもはや当該具体的方法の是非を議論している場合ではなく、当該具体的方法に代わる方法や修正案をいち早く導入すべき事態にあることを、構成員は理解する必要がある。

  そのような場合によく耳にするのが、「責任を取るのはリーダーなのだから、リーダーの好きにやらせてあげよう!」などという、表面的には寛容にも聞こえるが、実体としては無責任な発言である。「責任」とはいうものの、たとえ会社という保護された枠組みの中であれ、それは具体的に何を意味するのだろうか。せいぜい、リーダー自身が(会社を)辞めることを意味するに過ぎないであろう。会社などの組織における損失や構成員の組織での立場・家族への影響等、生じうる様々な影響については、通常、お構いなしなのである。

  にも拘らず、リーダー自身が、あるいは、組織の構成員が「責任を取るのはリーダー・・・」云々などという発言がまかり通るような組織に関わる方々は、老婆心ながら、それなりの覚悟を持っておくべきなのだろうと思う。
by hayakawa-houmu | 2012-02-17 05:41 | 日々雑感
「寛容さ」
  先日、一回り程年上の先輩と酒を酌み交わしているうちに、「あの頃の俺達はもっと寛容であるべきだったな!」とのボヤキが聞こえてきた。

  「寛容」といえば、小学生の通知簿にある人物評価の一項目でもあった。

  どのような意味かといえば、広辞苑には「寛大で、よく人をゆるし受け入れること。咎めだてしないこと」とある。また、「異端的な少数意見発表の自由を認め、そうした意見の人を差別待遇しないこと」ともある。

  思うに、世の中を見回してみると、上記「寛大」の定義に当てはまる人などと(もちろん、自分を含めて)、出会うことは本当に稀のように感じる。正直言うと、この定義にほぼ当てはまる方がひとりだけいらっしゃるのだが、「アルマジロにあの方の真似はできませぬ」と知り合った当初から彼を聖人扱いさせて頂いている。

  それはともかく、たとえば会社のある部署で仕事を進めるとき、その会社の構成員のひとりであって、会社の目標を実現しようとする以上、リーダーの他の構成員に対する「寛容さ」は制限されざるを得ないように思う。ましてや、会社が苦境に立たされている時に、よりアグレッシブに業務を遂行しなければならない時には、構成員が真剣であれば真剣である程、少なくとも表面上の「寛容さ」は失われてしまうのが常のように思うのである。

  
  様々な評価は考えられるだろうが、アルマジロなどはまだまだ子供であるからか、どのような場面においても、上述の意味での「寛容さ」を目指すことは、ひとりの人間、いや、1匹の動物として、何処か「いいこぶりっこ」というか、生身の生き物の性格からはほど遠いように思ってしまう。
by hayakawa-houmu | 2012-02-16 07:46 | 日々雑感
「プレゼン・チャート」
  ここのところ、プレゼン・チャート3種類を並行して作っている。

  まず、プロジェクト・オーナーに対してこの1年間の成果や問題点を振り返る、
1時間程度のプレゼン。

  次に、新しいプロジェクトの概略を潜在顧客に対して語る、30分程度の英語のプレゼン。

  そして、ピンチヒッターで行う国家試験合格のための勉強方法に関する1時間程度のプレゼン。

  どれも情報を多数の人々に伝えるという広い意味での目的は同じなのだが、伝えるべき情報の量や聴き手の属性の違い等によって、各々のプレゼンを効果的に行うためのチャートの内容や枚数は異なって然るべきである。では、どのように考えるべきか。それは個々人の企業秘密であり、興味のある方はその道の書籍を読んで参考にし、是非実戦で試されたい。

  もっとも、その手のノウハウ本を数冊読んで納得したような顔つきの輩のもっともらしいご高説に、時には疑問を差し挟むべき場合もある。たとえば、「講義」用のチャート(上記三つ目のプレゼン)といわゆる「ビジネス・プレゼン」用のチャート(上記二つ目のプレゼン)を区別せずに、同列に論じるのは如何なものか。

  いわゆる「趣味の世界」の話ではあろうが、参考までに触れると・・・アルマジロ的なビジネス・プレゼン用のチャートはシンプルな内容のチャートをおよそ1分当たり1枚のチャートを用意する。極端にいえば、タイトルだけチャートで示し、自分の言葉で内容を伝えるということだ。チャート上の情報に目を釘付けにはさせず、自分の話に耳を傾けさせたいからこその戦略である。

  他方、レクチャー(講義)用のプレゼンは、伝えたい情報の量や講義の進め方にもよるが、2-3分当たり1枚のチャートに、(ビジーと感じない程度の)適度な情報量を示すことにしている。

  もちろん、上記は単なる「目安」に過ぎないが、プレゼン・チャートを作るに際しては様々なことを考慮する必要があるように思う。たとえば、目的や効果など。ある意味楽しい作業でもあり、作り様によっては他の作品に数段差をつけることも可能な兵器でもある。
by hayakawa-houmu | 2012-02-12 21:15 | 日々雑感
「法教育!?」
  最近巷では「法教育」という言葉をよく耳にする。

  小学生などを対象にした「あれ」である。

  何故「あれ」などと無責任な言い方をするかといえば、「法教育」といっても様々な目的、内容、思惑等があって、その内容を勝手に定義付けることが難しいからである。

  アルマジロが連想する「法教育」の内容は、未だ自立していない青少年に、社会の一般的な考え方やルールを教えるということである。たとえば、「約束をしたら一方的に破ってはならない」「挨拶はする」「返事をする」といった基本的なことである。それでは「法」でなく「道徳」ではないかなどと俄か仕立ての法律家気取りは言うが、社会のルールを語るに「法」と「道徳」を区別する必要が何処にあろうか。そのような区別は学問の対象にはなるだろうが・・・

  何故、このように稚拙な(!?)定義をするかといえば、多くの大人を観ていて当たり前のことが当たり前にできず(アルマジロもその例外ではない!)、とても嘆かわしいと感じているからだ。左様な我が身を振り返りもせず、特定の「法律」(「法」ではなく、国会で制定した「法律」)を取り上げて、この「法律」を知らないことから生じる弊害を防ぐのだと息巻いている方々の滑稽さをつい口にしてしまう。

  たしかに、価値感は多様であるべきだし、かく言う「弊害」を取り除くことも無視できないかもしれない。しかし、世の中にはより重要なこと、より大きな弊害が大いにあると言わざるを得ないのだ。要は、プライオリティ、「優先順位」の問題である。極端なことをいえば、上記特定の法律を学ぶより、たとえば、青少年のうちに、日本国憲法の精神を学ぶこと、あるいは、「挨拶をする」などといったことを学ぶ方が、暮らしやすい社会を作るためには明らかに重要であるように思う。

  そうは言いながらも、中には素晴らしい内容の「法教育」を目指している方々も間違くなくいらっしゃることが救いである。実現するには無理難題も多いことかとも思う。アルマジロも機会があれば、微力ながらお手伝いさせて頂く所存である。
by hayakawa-houmu | 2012-02-06 05:47 | 日々雑感
「死の淵からの生還」
  昨年春に脳梗塞で倒れた友人から、先日電話があった。

  ある日突然倒れ緊急入院したとの知らせに、ほどなくして病院を訪れたアルマジロ。

  見た目には軽度の脳梗塞であったように見て取れ、担当医からも同様の診断が下っていた。だが、当時の本人の弁によれば、自分であって自分でないような感覚・・・たとえば、握手をしているのに握手をしているとの感覚はなかったのだ。

  あれから約10ヶ月余りの月日が流れた。

  その間、奥様とは何度となく電話越しにお話しさせて頂いたが、本人を焦らせまいと接触は年賀状程度にしておいたのだ。

  そして、この度の電話である。電話越しの声や話し方は健康な頃と変わらず、ほっとさせてくれるに十分であった。倒れる以前には経験したことのない経験をした旨を何度となく強調されておられた。まだまだ、漢字等のリハビリに力を入れているそうだ。毎朝自宅近く野山を体力回復のため歩き回るとも。

  年齢的にはアルマジロより一回り年上の先輩であり、尊敬するフレンチの巨匠でもある。彼の創り出す料理を暫し失ったファンの皆さまと一日も早い復帰を望みたい。とはいえ、正直なところは、ゆっくり、じっくり回復を待ってほしいと思う。倒れるまでの人生はかなりの高速回転であったのだから・・・
by hayakawa-houmu | 2012-02-03 08:20 | 日々雑感
「人間らしく」
  料理をする時、煮たり焼いたりする時、土鍋を使うとほっくり美味しく出来るのは何故だろう。

  聞くところによると、「遠赤外線」の効果なのだそうな。

  そういえば、炭火で焼く七輪の魚も、バーベキューの肉や野菜も、「遠赤外線」で美味しく仕上がる。

  恐るべし、「遠赤外線」・・・

  話は土鍋に戻るが、ステンレスや銅の鍋やフライパンを使うのに比べて、土鍋を使ったからといって著しく手間が掛かるわけではない。強いて挙げれば、土鍋が温まるまでの最初の5分程度は弱火でなければならぬといった程度だ。もちろん、電子レンジで「チン!」だけする派には理解して頂けそうもないが・・・

  「スローフード」という言葉が登場して久しいが、そのような言葉など使わずとも、人間は人間らしく生活すべきなのだ。ましてや、生きていくための基本である「食べる」とか「寝る」ということに対して手を抜いてはいけないのだ。機械や資本主義やインターネット等々、人間に創り出されたものに支配されることなどあってはならないのだ。

  人間はあくまで「人間らしく」存在すべきであり、感情豊かに、しかも、感情を素直に表現すべきなのだ。それを、いわゆる「大人」というベールで包んでしまうことは「人間らしさ」を失うことにも繋がりかねないなどと考えてしまう、今日この頃である。
by hayakawa-houmu | 2012-02-01 07:12 | 日々雑感
「組織って・・・」
  漠然とした目的に向かってであっても、人が複数集まって何かをやりだせば、それは「組織」、そう思っていたのだ。つまり、「組織」とはひとつの「まとまり」であって、それ故にひとりでやる以上のことができたり、様々な制約が生じるのだと思っていたのだ。

  ところが、どうもそうではない場合もあるらしい・・・つまり、「組織」とは「組織」を構成しているという主観がなければ成り立たないが、その程度にもいろいろあるということか。「体育会」系クラブとの比較における「スポーツ同好会」を考えてみればわかるという。要するに、「まとまり」といっても、だいぶゆるい関係、お気楽な関係ってわけだそうです。なるほどね!

  もっとも、緩く、お気楽な「まとまり」の関係にある集まりでも、(所詮人のやることだから)都合の良い時、あるいは、都合の良いことだけは「組織」然とさせてみたりもする。そんなときを除けば、当然、「組織」の論理などは当てはまるはずもないし、当てはめようともしないから、おかしな方向に進んでしまうことになる。

  そんな人達と接していて、ひとり憤ってみたりもしたが、何が変わるわけでもなく、ただ時が過ぎ去っていくだけだ。サラリーマンの頃ならいざ知らず・・・当時は会社に対する責任やら部下や上司に対する責任やら、いろいろなしがらみがあった・・・きっと今はそんなことを気にする必要はないのだ。もちろん、顧問先やプロジェクトを動かしている仲間との信頼関係に対する責任等を除けばの話ではあるが・・・

  そんな気持ちで、第三者的に、つまり、客観的に、いわゆる「烏合の衆」を眺めていると、結構興味深いといえば興味深い。客観的には、どのように眺めてもいわゆる「烏合の衆」なのだけれども、個々の「鵜」の主観ではそう思ってはいないようだ。こちらに危害がある程度及ぶまでは、そんな冷静な眼で見守ることにしたアルマジロ(一時は、例によって例の如く、相当エキサイトすることもあったが・・・)。その結果、血圧も必要以上に上がらなくてよさそうだし、客観的に自己を見つめることの重要性を教えてくれる「反面教師」にもなっている。

  もっとも、このような人たちとの付き合い方は案外難しい。客観を知らぬ自信家たちが多いとくれば、「触らぬ神に崇りなし」が得策か・・・孤軍奮闘している方々には申し訳ないが・・・そんなことに悩めるアルマジロでもある。

  とはいえ、これも「楽しみ」のうちですな(笑)
by hayakawa-houmu | 2012-01-27 09:49 | 日々雑感



法務参謀アルマジロ日記
by ととろ
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