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迷参謀アルマジロの日々是修行日記
「道具」
  今日は、アルマジロの長いとはいえない人生(?)の中で、よく考えさせられたことについてのお話。それは、「道具」そのものの評価と、その「道具」を使って作り出されたものの評価は、混同されがちということです。

  たとえば、英語が上手であるというだけで、仕事もよくでき、優秀であると勘違いされること。たとえば、法律の条文や判例はよく知っているというだけで、法律的な問題解決能力も優れていると勘違いされること。たとえば、論理的に筋が通っているというだけで、その内容が正しいと勘違いされること。たとえば・・・といった具合である。

  よくよく考えてみればわかることだが、「英語」も「法律」の条文や判例も、はたまた「論理」もすべて「道具」(或いは、「手段」)であるといえる。つまり、「英語」はコミュニケーションの道具であり、「法律」は問題解決や社会を秩序づける道具であり、「論理」はものごとを考え伝えるための道具である。

  もちろん、「道具」の善し悪しそのものは正当に評価されてしかるべきものではある。しかし、これらの「道具」を使って作り出されたものの評価とは切り離して考えるべきである。言い変えれば、如何に「英語」が上手であっても、その伝える中身が問題であり、あるいは、如何に「法律」の条文や判例をよく知っていたとしても、その知識を使って問題を解決できるかが重要なのである。アルマジロが何千万円もする名器ストラティヴァリウスのバイオリンを使ってチゴイネルワイゼンを弾いてみたとしよう。「道具」のストラティヴァリウスが名器と評価されてしかるべきであるとしても、そのことから直ちにその演奏まですばらしいということにはならない。なぜなら、アルマジロの演奏は、皆様の耳には聴くに堪えないものであると自信をもっていえるからである。(因みに、アルマジロは生まれてこのかた、バイオリンに手を触れたことがない・・・(涙))

  「評価」するということは、主観的にも客観的にも難しいものである。「評価」をするにあたっては、その内容如何に関わらず、せめて「評価」の対象を混同せずにしたいものである。さもなければ、それこそ自分の下した評価を「論理的」に相手に伝えることはできなくなってしまう。
by hayakawa-houmu | 2009-07-14 06:30 | 日々雑感
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