「要約する」というのは、結構難しいものだ。
何を突然、こんなことを書きだしたかと言えば、先日某教授から「学生に是非読ませたいからブログに書いてくれ」と頼まれたからである。某教授のお手伝いができるほど学問には精通していないアルマジロではあるが、たまには腐れ縁の某教授のお手伝いということで書き始めた次第である。 実は最近、メディエーションに関する外書の講読会に参加し、「チューター」という役目を仰せつかっている。そもそも、「チューター」といったら「ホーム・チューター」(いわゆる家庭教師)とネズミのぬいぐるみ(おもちゃ?)の「ちゅー太」しか思いつかなかったアルマジロなので、まあ、いつもの「俺流」でテキトーに、かつ、エラそうにやっているわけである。 決して純和風英語教授法は不得意ではないが、一文一文日本語訳をしていると時間はやたらと掛かるし、訳すことに一生懸命になって、そもそも著者の言いたいことなど忘却の彼方へと追いやってしまうことになる。そんなこんなで、パラグラフ毎に内容を簡単に要約して、参加者には発表してもらうことにした。 この「要約」という作業、久しぶりにやってみてやり方を思い出した。特に専門書の場合、著者の言いたいことの論理の骨組みを抽出し、文章として再構成するという作業なのだ。言ってみれば、論理的思考の訓練でもある。だから、論理的思考に疎い人は、不要な個所だけを拾い集め、重要な骨子はすべて無視してしまうなどという芸当まで行ってしまう。 いわずもがな、この「要約」という作業の内容は英文でも和文でも同じである。ただ、外書講読の場合は、各々の外国語能力によって、特に前段の作業の内容が若干異なってくるようだ。つまり、比較的英語が得意な人は、英文を読みながら骨子となる文章や単語をマーキングするなどして、大意を読み取っているように思う。他方、英語が比較的苦手な人たちは、一旦全文を和訳してから大意を掴もうとしているようだ。 どちらの方法でも良いとは思う。が、ひょっとしたら一旦英文和訳をしてからという方法は避けた方がよいかもしれない。何故ならば、正確に和訳できる保証もないし(実は、和訳をするにも論理的思考は必要なのだ!)、不正確な訳から論理の道筋を抽出するのはそれこそ危険に感じるからである。意味のわからない単語が登場しても、論理的に考えることによりその意味をそれなりに推測しつつ読み飛ばす方が、相対的には安全とも思えるのである。 このように考えてみると、たとえ「要約」などしなくとも、「外書講読」そのものが論理的思考の訓練にもなりうるように思えてきた・・・てなことで、某教授のところの大学院生諸君、頑張ってくれたまえ! P.S. そうそう、法科大学院の入試で「要約せよ」という出題が多いのは、読解力と論理的思考能力を測りたいことの現れなのでしょうね、きっと。
by hayakawa-houmu
| 2011-11-14 05:39
| 日々雑感
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