より良いコミュニケーションのためには相手の主張を「聴く」こと、そして相手が「聴いてもらえている」と感じることが大切であると前回書いた。そしてそのためには、相づちなどの動作や言葉、質問の仕方、顔の表情や雰囲気、そして聴き手の真摯な態度やお互いの信頼感などから作り出される、話し手と聞き手を取り巻く「空気」が重要なのであろうことも指摘した。
さて、ここまで書いてくると、なんだか現代の日本人は諸外国人と比較してコミュニケーションが苦手な国民のように思えてきた。国民間の文化の同一性故か(正確にいえば、日本人は単一民族ではないから「類似性」といった方がよいかもしれない)、「言わなくてもわかっているだろう」という言葉そのものや顔つきに出会う機会が結構多い。統計をとったこともないが、たとえば、アメリカ人と接している時と比較してみると、その違いは顕著といってよい。そりゃそうだ、「人種の坩堝」などと称されて様々な人々が暮らす彼の国では、隣人の考え方なんて自分と違うのが当たり前だろう。だから、「言わなくてもわかっているだろう」なんて論理は理解できるわけもないし、ましてや日本人の「腹芸」などには簡単に納得できない。 たしかに、一昔前までの日本であれば文化の同一性・類似性の故に、「言わなくてもわかっているだろう」的なコミュニケーションは通用したであろう。特に男性中心社会であった時代はそうであった。しかし、現代社会のように様々な考え方や習慣が交錯する社会では、そんなコミュニケーションが通用しそうにないことは明らかである。このように考えてくると、より良いコミュニケーションのためにもうひとつ大切なことは、「コミュニケーションの相手方は自分とは違うのだ」ということから出発すべきということになる。 そういえば、サッカーの日本代表の中でコミュニケーションを上手にとることができる選手は「本田圭祐」選手だけだという話を聞いたことがある。そうだとすれば、彼が海外のプロチームで移籍後直ちに活躍しているのも頷けるところだ。もっとも、代表チームの中にあっては、文化的同一性・類似性故に「出る釘は打たれる」が如く萎縮していく彼を見ているととても残念に感じる。彼の個性をありのままで受け入れることのできるチームなら、ワールドカップで予選を突破することも夢ではないのだろうが・・・
by hayakawa-houmu
| 2010-06-07 05:37
| 日々雑感
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