最近のニュースによれば、三重県名張市で1961年、農薬入りのブドウ酒を飲んだ女性5人が死亡した「名張毒ブドウ酒事件」で、最高裁は、殺人などの罪で死刑が確定した奥西勝死刑囚(84)の再審を認めるべきかどうかの判断を改めて名古屋高裁に差し戻す決定をした。その理由は、「犯行に使われた毒物の解明について、審理が尽くされていない」ことにあり、差し戻し審では 毒物の成分をめぐる科学論争に絞って審理が続くことになる。
このニュースを読んで「なんだかなあ・・・」と思ってしまったのはアルマジロだけでしょうか。 たしかに、この「破棄差戻し」という最高裁の結論は再審の可能性をもたらすものとしてよかったといえば、それはその通りでしょう。でもね、奥西さんはもう84歳なのですよ。高裁に差し戻して、また最高裁で審理して・・・などというお決まりの過程を辿るとすると、一体全体あと何年掛かると思っているのでしょうか。思わずため息をついてしまいます。田原裁判官が補足意見として「事件発生から50年近く、今回の再審申し立てから8年近く経過しており、証拠調べは必要最小限にして効率よくなすことが肝要だ」と言ってるのが救いのような気もしますが・・・(でもなぜ、そんな時間が経過してしまったのか・・・考えてもらわなければ困ります!) DNA鑑定で問題となった足利事件にしてもそうですが、今回の事件も毒物の特定成分の検出結果という「科学的知見」が問題となりました。いつぞの当ブログにも書きましたが、「科学」や「理論」などというものは本質に迫るための営みなのであって、その時々の到達点に過ぎないのです。何年か先に過去の到達点に基づく判断が否定されるなんてことは、歴史を振り返ってみればごく当たり前のことですよね。 このように考えてくると、歴史的に証明されたその危険性故に証拠としての利用を憲法や刑事訴訟法で制限されている「自白」と同様に、「科学的知見」を証拠とする場合の危険性を「より」認識する必要があるのだと思います。「言うに易し、行うに難し」だとは思いますが、裁判官の判断だけに任せるのではなく、「科学的知見」を証拠として採用するためのルールや仕組みを国民がある程度納得する形で用意する必要があるのかもしれません。(裁判官だって人間ですから、理数系オンチはたくさんいるはずですよ・・・これ、ホント!? 別にバカにしているわけではなく、普通にそうでしょ!) それにしても・・・この事件は冤罪となるか否かはわかりませんが、表面に表れる冤罪事件の数を思うと、これらは「氷山の一角」としか思えませんよね。統計学的にいえば、口にするのも恐ろしいほどの推計値となるでしょう。多くの人は「私には関係ない」と思っていることでしょうけど、「社会とは限られた少数の犠牲者の上に成り立っている」という学者の方もいらっしゃいますが、「たしかにそうだよな」とどこかお寒く感じる今日この頃です。
by hayakawa-houmu
| 2010-04-09 05:51
| 日々雑感
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