迷参謀アルマジロの日々是修行日記
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「OOさん」
  アルマジロが大学生の頃、後に入社することになる外資系大会社を訪問した際に、人材開発部部長代理の方に言われたことがふたつ:

  1.この会社では上下関係に関わらず「OOさん」と「さん」付で呼びます。もちろん、日本人以外の人に対してはファースト・ネームで呼ぶこともあります。

  2.日本における独立法人ではあるけれど、アメリカの本社に対する支社みたいなものだから、海外勤務は期待しないで下さい。

  上記2)はさておき、1)の意味するところは、それだけこの会社の従業員の雰囲気はオープンで気さくなのだということである。その結果として、当時社会で一般的だった「部長」「課長」等の役職名で呼び合うことはなかった。アルマジロの記憶でも、もちろんたまに苗字を呼び捨てにする上司もいたが、大概は「さん」「君」付けか、ニックネームである「ボクちゃん」(入社以来、当時のお姉さま方に付けて頂いたあだ名。決して「良い家の出」の意味ではない!)と呼ばれていた。

  話が最初からだいぶ横道に逸れてしまったが、「OOさん」などの呼び方ひとつでグループの雰囲気は結構変わるものである。だから、社内や部署等の雰囲気を変えようと思ったら、現在の「呼び方」について一考してみることにも価値があるのでは、ということが言いたかったのである。

  話の逸れ次いでに・・・アルマジロは、士業仲間の慣習(?)であるところの「先生」呼ばわりされることが大嫌いである。なぜならば、「先生」などと呼ばれると何処か馬鹿にされているように感じるし、何処かいい気になってしまいそうだからである。もちろん、「先生」と呼ぶことで楽することもあるが・・・そんなこんなで、いわゆる士業仲間の中にあっても「先生」と呼ぶことも比較的少ないし、付き合いのある社長達や関係各位の方々には「さん」付けでお願いしている次第である。

  ところで、「先生」は止めて下さい、「さん」で結構です、とお願いして回るのは、もぐら叩きのようなもので結構しんどい。疲れている時など、最近では聞き流してしまうことも多い。ところが、最近うれしいことがひとつ! 実は士業の肩書とは関係のないプロジェクトが進行中なのだが、そこでは幸いなことに「先生」と呼ばれることは今のところ皆無である。周りの人々は少数の例外を除いて皆「先生」なのだが・・・

  相手の皆さんは、ひょっとして、どう呼んでよいのか困惑しているのかも知れない。だが、アルマジロにとってはとても快適であり、ありがたい限りである。
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by hayakawa-houmu | 2011-06-06 05:42 | 日々雑感
「おとな???」
  ある方曰く、「大人はね、自分が思ってることを素直に言ってはいけないのよ。」
  
  とあるインターネット・サイトに登場していたその方のお姿を直接本人に素直に褒めたら、こんなお言葉が返ってきました(絶対的評価ではなかったにしろ、決してお世辞を述べたつもりもない。)。

  考えようによっては「照れ隠し」ともとれるようにも思うが、それはさておき・・・世間の「大人」なるものの発言の二面性には結構舌を巻く。

  普段は笑顔で賞賛してたかと思えば、酒の席ではマジ面で偏屈さというか、そのオタク振りを披露。そして、時には、了見の狭い議論を吹きかけてきてみたり。どちらが本音かと考えてみれば、酒席での発言が本音なのだろうと推測する。

  そんな話を友人達としていると、まあ良し悪しは別として、その二面性が世にいうところの「フツウ」なのだそうだ。もちろん、アルマジロにだってそういうところはありますよ。ただ、世間一般の二面性は少々ひどすぎやしませんか。アメリカ人は毎日妻に「アイ・ラヴ・ユー」と言わねばならぬ、という伝説のお話にかなり近いような二重人格振りに思えてならないのはアルマジロだけだろうか・・・

  兎にも角にも、本音を言ってばかりいるとどうも不思議に思われるというのは、そんな世間の二重人格振り故なのかもしれませぬ。きっと、素面で本音などそう易々と話すはずはないではないかと思われるのでしょう。それもこれも、アルマジロの人格の至らなさ故と理解しておくことにしております!
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by hayakawa-houmu | 2011-06-02 13:18 | 日々雑感
「Pride」
  そう、「あの人はプライドが高い」とかいうときの「プライド」です。

  広辞苑によれば、「誇り。自尊心。自負心。矜持。」

  この「プライド」、結構扱い難い代物ですよね。アルマジロ的には、「プライド」は誰にでもあるものだし、また、あるべきだし。ただ、心の中に大切に仕舞っておけばよいのですが、時として他人に対して過剰に見せつけたり、あるいは、見せつけるだけでは済まなくてやたら振り回し、見えない他人のプライドを傷つけてしまった場合などに大きな問題に発展するように思います。

  そもそも、「プライド」は人間の内面における「誇り」であって、本来他者にひけらかすものでもなく、他人から攻撃されて簡単に傷つくものではないのだろうと思うのです(逆説的にいえば、そうでなければ「誇り」とはいえないように思うのです)。にも拘らず、「プライド」のぶつかり合いや傷つけあいで紛争が生じるのは、その「プライド」と呼ばれるものが「誇り」を通り越して、「思い上がり」に転化していると思えて仕方がないのです。

  立派な人間は(動物も然りですが)、自分が立派だと敢えて説明しなくとも、立派に見えるものです。頭脳明晰な人間は、普通に話しているだけで、そのように見えるものです。「誇り」高き人間や動物は、そこに立っているだけで、そのように見えるものです。他方、自分に誇りや自信がない人間に限って、自分の優秀さや心のうちを説明したがるものです。しかも、その説明は非論理的な場合が多いようにも感じます。

  周囲の人たちが自分のことをわかってくれていない、とはよく言われることですが、案外、周囲の人たちには本当のあなたが見えているのかもしれません。たまにはそのように考えて、周囲に自分を理解させようともがくばかりでなく、自分の「誇り」を磨きなおしてみることも大切かもしれません。「誇り」とは、我々が生きていく上で、それほど大切なものだと思うのです。

  話は逸れますが、昨年のラグビー早明戦の試合前に吉田監督は選手を送り出す際に「明治の矜持を見せてこい!」という言葉があったそうです。この言葉に反応してか、この試合は歴史に残る早明戦となりました。過去10年間弱体化したチームを蘇らせたのがこの言葉、「矜持」だったのです。間違いなく、心に響く言葉のひとつだと思います。
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by hayakawa-houmu | 2011-06-01 05:40 | 趣味のこと


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法務参謀アルマジロ日記
by ととろ
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