迷参謀アルマジロの日々是修行日記
<   2009年 11月 ( 11 )   > この月の画像一覧
「さぬきうどん」
  香川県で有名な食べ物といえば、やっぱり「さぬきうどん」ですかね。

  噂によれば、県内のうどん屋の数は、県内に設置されている信号機の数より多いとか!? 真偽の程はわかりませんが、それほど多いということには肯けます。皆さんもご存じのように、薬味のネギまで畑から獲ってくる必要がある究極のセルフ・サービスのお店からフル・サービスのお店まで、いろいろあります。「さぬきうどん」といえば、もちろん、コシの強い麺に特徴があるのですが、ダシもいりこダシということで、こちらも独特です。高松にお住まいの先輩方の弁によれば、「今の(うどん屋で食べる)さぬきうどんは、かつてのものに比較して、だいぶ違う」「味がだいぶ落ちた」「昔は美味しかった」、のだそうです。昔のうどんを食べたことのないアルマジロにとっては、昔の味がどのようなものであったのか興味津々なのですが・・・

  とはいえ、アルマジロのイチ押しうどん屋は、「あたりや」というお店です。ロケーションがフィットネスクラブの駐車場の一角という稀有な存在の小さなお店なのですが、「恐るべきさぬきうどん」でも紹介された結構有名なお店です。先日高松を訪れた際にも空港からレンタカーで直行しました。ダシの味が微妙に変わっていた気がしたのですが、幸運なことに裏メニューの「からいもん」というのも(!)食べさせてもらえました。

  さて、高松を訪れる時間がない方のために、通販で買える半生タイプの「さぬきうどん」をご紹介しておきます。それは、 「めんつるめん」といううどんです。他の市販のうどんと比較して、味・値段共に納得のいくものです。ご注文は、「0120-18-1651」です。因みに、高松空港や市内のデパートでは販売していないようです。
[PR]
by hayakawa-houmu | 2009-11-28 16:27 | 趣味のこと
「契約書ふたたび」(4)
  契約書に関する大きな誤解・・・それは、「契約書の内容は法律通りでなければならない」というものです。法科大学院の学生でもそのように誤解している方が少なくないので、一般の人々にとっては致し方ないとは思いますが、それは誤った認識なのです。

  以前にも当ブログに書きましたが、日本民法の原則に「契約自由の原則」というものがあります。この原則のひとつの表れが「契約内容の自由」なのです。端的に言えば、公共の秩序や善良の風俗(公序良俗といいます)、あるいは権利の濫用等に当たらなければ、契約の内容は当事者が好きに決めてよい のです。そして、契約に欠けている事項が問題となった時に初めて、法律の条文が裁判規範として登場する訳です。言ってみれば、ある意味、法律の条文は契約書を補充するためにあると考えて下さい。

  このように考えてみると、契約書は、法律の条文を当事者の意に沿うように修正するための道具であり、そこに契約書を作成する意義のひとつがあります。言い換えれば、非常に理不尽な内容でない限りは、契約書は当事者間でのみ通用する「法律のようなもの」なのです。

  
[PR]
by hayakawa-houmu | 2009-11-26 05:48 | 予防・戦略法務のこと
「性格は変わらない!?」
  先日、心理学者の方とお話をする機会があったのですが、我々の性格や考え方、感じ方は、余程のことがない限り変えることは困難なのだとか。そういえば、「新派」と呼ばれる刑法理論では、たとえば顔の骨格で凶悪犯になる素質を判断していましたっけ(もちろん、この学説は今では超マイナーで、専門書の冒頭に登場するのみですが・・・)。

  性格等々を変えるためには、外圧でなく自分が変えようと思うことが大前提で、その他非常にショッキングな出来事等が身近で起こるなどの大イベントが必要なのだそうです。そりゃそうだろうなと思う反面、なんだか寂しい気もしますよね。

  だとすると、日頃、「あいつは本当に成長しないな」などと言って、かつての期待の若手の言動に嘆いてみたりしますが、「成長してほしい」とか「変わってほしい」という思いはほとんど裏切られることになるのですね。たしかに、十年以上の間裏切られていますけれど・・・それでも、やっぱり、男性が美容院に通うのは変だと40歳を越えても言い続けている固定観念の持ち主の彼や他人の話を聞かずに的はずれな意見を言う彼などには是非変わってほしいと思うのです。

  アルマジロ自身はどうかって? アルマジロは他の方から注意をお受けした点に納得がいけば変えようと努力しているつもりですが、実際は変わっていないのでしょうね、きっと。本心はどうであれ、せめてTPOに合わせようと思うこともあります。でも、そうすることはどこか他人を(あるいは「大人」を)演じるようで、あまり好きではありません。
[PR]
by hayakawa-houmu | 2009-11-23 08:16 | 日々雑感
「大人になりなさい!」
  「大人になりなさい!」
  最近、こんな言葉を耳にしました。それにしても、このフレーズって、結構よく耳にしますよね。大人(成人?)が子供(未成年?)に対して発していたり、時には大人が大人に対して発していたり・・・

  アルマジロの経験からすると、このフレーズの意味するところは各々の状況によって異なるように感じます。たとえば、「おとなしくしていなさい」という意であるとか、「言葉遣いに気を付けなさい」、あるいは、「文句ばかりいうな」などなどです。にも拘らず「大人になりなさい!」の一言で、十把一絡げに処理することが、あたかも「大人」であるかのように・・・何故、各々の意味する内容を直裁に伝えないのか、とても不思議に思います。

  きっと何処かに「大人」像というものがあって、それは「大人」あるいは「人」のあるべき姿であるということなのでしょうか。それとも、「大人」は子供よりも完成された人間とでも言いたいのでしょうか。先日もある方が書かれた「思いやりが必要です。大人にならなければならないのです。」というような文章を読んでいて、首を傾げてしまったアルマジロでした。何故なら、子供だって思いやりは持つべきですし、思いやりのある子供はたくさんいますよね。むしろ、思いやりのない「大人」の方が多いような気もしたからです。

  こんなことをとりとめもなく書いていると、「屁理屈を言うな!」などとお叱りを受けそうですが、「大人になりなさい!」という言葉は、「屁理屈を言うな!」という言葉と同様に、相手を馬鹿にした、意味不明の言葉であるように感じます。これらのフレーズの滑稽さは、コミュニケーションが破綻したときや議論に行き詰まったときなどによく登場するところにもありますよね。そうそう、女性よりも男性の方がよく使うような気も・・・

  何れにしても、このようなフレーズは出来れば使いたくないものです。大人がそれまでの人生で得た経験が貴重であることや長幼の序を重んじることが大切なことは言うまでもありませんが、大人の側から必要以上に子供を差別したり区別したりするような言葉遣いはどうかと思います。ましてや、大人が大人に対して「大人になりなさい!」なんていう方には、「あなたは子供ですか」と問い返したくなるアルマジロです(笑)
[PR]
by hayakawa-houmu | 2009-11-20 06:21 | 日々雑感
「契約書ふたたび」(3)
  これまで、「契約書は残しておくべきです」「契約書はしっかり読むべきものです」・・・などと、契約書の重要性について繰り返し言ってきました。しかし、他方で、契約書を作成するにはそれなりの手間や費用が掛かったりします。また、すべての法律行為(お互いが法的拘束力を生じさせることに合意した行為)に契約書を用意していたら日が暮れてしまいます。たとえば、パンやお菓子を買う時などなど。

  そこで、一般的に我々は「コストパフォーマンス」を考えることになります。その基準は、人様々だと思いますが、たとえば自動車を買うとか家を買う・建て替えるなど高額の取引な場合や、信頼できない相手や信頼できるか否か不明の場合、あるいは、当事者双方の権利や義務を明確にしておきたい場合などに、契約書を用意することになります。

  このように、あらゆる場合において契約書は必ず必要というわけではないと思います。が、しかーし、現実には重要な内容にも拘らず、業界の慣習や下請いじめを反映してとか、我々自身が契約書に興味を持たないことを反映してとか、契約書が存在しなかったり、内容をよく読まないで判を押してしまうことが散見されます。このことは、日本の経済成長の一助になるのかもしれませんが(冗談のつもりなのですが、あながち冗談とも言えない気が・・・)、一般消費者の立場を考えた場合には、間違いなく是正されるべき慣行だと思います。
[PR]
by hayakawa-houmu | 2009-11-18 05:44 | 予防・戦略法務のこと
「契約書ふたたび」(2)
  先日、「御社の契約書は、御社にとても有利な契約書ですね」と顧客に言われたと自慢げに話す営業マンに出会いました。どんな契約書かと思って、その会社の契約書を見せて頂いたところ、有利不利の状況もさることながら、その内容は目を覆いたくなるほど不明瞭なものでした。

  契約書の文言は、誰が読んでも(業界や世の中を知らない裁判官が読んでも!)同じ意味にとれるものでなくてはなりません。何故なら、不明瞭な内容では契約書による問題解決もおぼつかず、契約書を手間暇掛けて作った甲斐もなくなってしまいます。信頼関係だって損なわれるかもしれません。

  契約書案(「ドラフト」などともいいます)を作成した場合には、関係者だけでなく、その内容を知らない家族の方などにも是非読んで頂いて下さい。内容を知らない方が読んでも同じ意味にとれるようであれば合格だと思います。

  ところで、内容の有利不利の問題ですが、基本的には契約当事者の力関係が反映されます。もっとも、公の秩序に反する契約書(法律的には無効です!)でない限り、片方の当事者が一方的に不利になることは珍しいと思います。そのようになってしまうひとつの原因は、その片方の当事者が契約書を読んでいないか、余程のお人好しかの何れかではないでしょうか。

  「有利不利は当事者の力関係による」といいましたが、おかしなことに、本来優位に立っているはずの顧客や依頼主が相手より不利な内容の契約書に判を押している場合が多々あります。冒頭の例は、まさしくそれです! なんでそうなったかって? それは、顧客や依頼主が契約書をよく読まなかったり、理解できない内容を放置したまま判を押してしまったからです。結構知らず知らずのうちにやっているのです。お恥ずかしながら、アルマジロにだってそんな経験はあります。 

  皆さん、「契約書」は読むものだと肝に命じておいて下さい! 
  読んでも理解できないところや納得できないところがあれば、当事務所までご一報を!
[PR]
by hayakawa-houmu | 2009-11-16 11:21 | 予防・戦略法務のこと
「契約書ふたたび」(1)
  個人間であれ会社間であれ、契約当事者には「信頼関係」があるのだから、契約書は不要とか、簡単なもので十分などというお声をよく耳にします。このステートメントって、どこかおかしくありませんか?

  たしかに、そのようなことをおっしゃる当事者の皆さんの間には、少なくとも現在の時点において「信頼関係」はあるのだと思います。しかし、将来においてもこの「信頼関係」が継続する保証はあるのでしょうか? 答えはノーだと思います。何故なら、私たちの経験則から言えば、ある時点での「信頼関係」がいとも容易く崩れてしまうことはままあるからです。たとえば、友人との喧嘩別れ、配偶者との離婚などなどです。そうであるならば、現時点での「信頼関係」を理由にして契約書の要不要を論じることは妥当ではないことになります。

  そこに、将来「信頼関係」を損なう可能性を見据えて、お互いの約束を契約書という書面に残しておくべきひとつの理由があるのです。そうでなくとも、人間は忘れることができる動物です。口約束に関し、それこそ「言った、言わない」の口論で「信頼関係」が崩れる場合だってあるのです。「信頼関係」を継続させるためにも、「備忘録」としての契約書は必要なのだと思います。
[PR]
by hayakawa-houmu | 2009-11-12 05:47 | 予防・戦略法務のこと
「立場変われば、主張も変わる」
  皆様も経験があることと思いますが、ある人の立場が変わったら主張も変わってしまい、「今まで言っていたことと違うじゃないか」と腹を立てることがあります。会社であれば、被管理職から管理職に昇進した場合や所属部門が変わった場合などによく起きます。そして、このような時には必ずといっていいほど自己保身だなんだと否定的な評価が下されます。しかし、立場が変わったら主張が変わるのも当然とアルマジロは考えます。何故なら、仕事の内容も責任の内容も、立場が変わればすべて変わるからです。もちろん、それぞれの立場からの主張を一段高いところから公平かつ合理的に判断することが望ましいことはいうまでもありません。
  
  ある日、ロー・スクールでこんなことがありました。民事の事例処理を検討するにあたり、その道筋についての本物の裁判官と弁護士の主張のぶつかり合いです。裁判官は、数ある事実の中から、もっとも確からしい事実の組み合わせを選び、ひとつの道筋をたてます。他方、弁護士は、可能性のある道筋を複数考えだし、そのひとつひとつにおける勝訴の可能性をよく吟味した上で、ひとつまたは複数の主張すべき道筋をたてます。そこで問題となったのは、答案を起案するに際してどちらのアプローチで書くかということでした。

  当初アルマジロは不思議な議論だと様子を眺めていたのですが、これって、よくよく考えてみると極当たり前の論争のように思えてきました。原因は、裁判官と弁護士の日頃の仕事のやり方の違い、言ってみれば、立場の違いにあるのではないでしょうか。つまり、裁判官は証拠や裁判でのやり取り(これを弁論といいます)から、原告の主張する事実の確からしさを吟味して判決を下す訳です。したがって、裁判の過程で当初の主張が変化することもあるにせよ、裁判官は原告が主張する道筋一本に集中して判断するわけです。他方、弁護士は、依頼人を勝訴させるために、数ある確定・不確定事実の中からいくつかの可能性ある道筋を考えだし、最も勝訴確率の高い道筋を選択して主張するわけです。したがって、弁護士には頭を柔軟にして可能性ある道筋を見出す能力が必要とされ、ひとつの「見せ場」ともなるのです。おそらくこんな背景があって、裁判官と弁護士は各々の主張を譲らなかったのだと思います。

  余談が長くなってしまいましたが、私たちが社会で生活していくに際し肝心なことは、お互いの立場を認めて尊重し合うことなのだと思います。会社の中の関係しかり、家庭内の関係しかり、与野党の関係しかり、相手の立場や考えに思いやりを持って問題解決にあたることが大切なのですよね。なんか当たり前の事柄にも思えますが、これができる人ってかなり限られますよね。動物のアルマジロの反省する点でもあります!
[PR]
by hayakawa-houmu | 2009-11-10 08:50 | 日々雑感
「白昼の発砲事件」
  昨日6日午後2時半頃、横浜市南区吉野町で発砲事件が発生したというニュースがテレビや新聞で大きく報道されました。実は、この発砲事件が起こった場所は、アルマジロの生まれ育った実家の裏手、徒歩1-2分という場所でした。この界隈は今でこそマンションやオフィスビルも多いのですが、いわゆる「下町」です。テレビで夜のニュースを観ていたら、なんとアルマジロの出身小学校の校長がインタビューを受けていたり、あるいは、幼なじみの甘納豆屋の主人までインタビューを受けていたり、ウチの母親まで登場するのではないかと一瞬不安になったりもしました。この地区では、下町ということもあり、昔から様々な事件が起こることも珍しくはないのですが、ここまで至近距離でテレビ報道された事件は記憶がありません。アルマジロもたまには実家に顔を出さなくてはと思った次第・・・。

  そういえば、アルマジロが幼少の頃にカッコいいと思っていたのは決してウルトラマンや仮面ライダーではなく、色白で角刈りのお兄さんが腹にさらしを巻き、白木の鞘に収められたドスを握りしめて近所の事務所からを飛び出していく姿でした。昭和40年前後のことだとは思うのですが、ヤクザ映画さながらの光景を今でもよく覚えています。そんな環境で育てば、血の気も多くなろうし、浪花節にもなろうし、エリートぶってる輩を嫌いにもなりますよね・・・と自己弁護しておきます。もっとも、この辺の本性を感じとられている方はそう多くはないと自分では思っているのですが、時として経営者の方などにひと目で見破られてしまい驚くこともあります。何故か、見破られた後は必ず懇意にしていただjくことになるのですが・・・やはり、人柄とか態度を客観的に見抜く力はどんな局面でも必要ですよね。アルマジロも修行しなくては・・・

  ところで、上述の甘納豆屋は「おもや」という結構有名な製造販売のお店で、評判も上々です。普通の(?)甘納豆とは少々変わっているようにいわれますが、結構美味しいです。市営地下鉄吉野町駅から徒歩1分の鎌倉街道沿い、横浜信用金庫の隣です。お近くにお出かけの際は是非一度お試し下さい。
[PR]
by hayakawa-houmu | 2009-11-07 10:25 | 日々雑感
「コーポレート・ガバナンス」
  先日、 「コーポレート・ガバナンス」とはどのような意味かというご質問をお受けしました。「コーポレート・ガバナンス」とは、株主から会社の経営を任されているところの「経営陣(すなわち、「取締役等」)の裏切りを防止し、株主の目線で経営させるための規律」ということができます。この言葉は、10年以上前から米国で紙上を賑わせていたものです。誰のための規律かといえば、直接的には配当を通じて利益を得る「株主」のための規律であり、究極的には経済成長を通して国家が豊かになるための規律です。端的にいえば、いわゆる米国型の「略奪的」資本主義の表れであり、 「株主至上主義」の帰結を意味することが多いです。

  そもそも、「コーポレート・ガバナンス」は「企業統治」と訳されますが、「企業統治」については大きく分けて二つの考え方があると思います。ひとつは、会社は株主だけのものではなく、従業員や債権者などの他の利害関係者のものでもあるという考え方です。この場合、相対立する利害関係者間の配慮や調整が問題となり、企業の目標や経営責任の所在が不明確になるとう欠点があります。もうひとつの考え方は、上記の「株主至上主義」です。これは、経営陣を株主の代理人と考え、他の利害関係者は経営の手段となることから、目標も経営責任の所在も明確になります。

  とはいえ、経営陣が株主を裏切る可能性を減少させる「コーポレート・ガバナンス」、すなわち企業統治の体制構築で最も重要なことは、経営代理人としての経営陣に如何に当事者意識を持たせ、それを如何に従業員等の末端まで浸透させるか、という点にあると思います。これがなかなか難しいことであるが故に、「コーポレート・ガバナンス」という単語が踊っていたのです。前回触れた「法令遵守」の話とどこか似ているとは思いませんか? もちろん、株主目線で経営陣の裏切り防止を考えるにあたっても、「法令遵守」は「コーポレート・ガバナンス」のひとつの要素であって、切り離して考えることはできません。
[PR]
by hayakawa-houmu | 2009-11-04 05:55 | 予防・戦略法務のこと


S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30

法務参謀アルマジロ日記
by ととろ
早川法務事務所
ビジネス・スキルの向上には・・・ビジネスコーチ遠藤嗣一郎のWeb